2022年6月7日火曜日

鴨長明「方丈記」


 

鴨長明「方丈記」の現代語訳(佐藤春夫)を青空文庫で読んだ。
突然「方丈記」を読みたくなったのは、別のSNSに頂いたコメントがきっかけ。
大学の卒論が話題に出たのだけど、コメント主の卒論のテーマが「鴨長明・方丈記」

「鴨長明」「方丈記」「三大随筆」という受験キーワードは覚えていたものの、自分はそれ以上のことはほとんど知らないことに気づき、読むことに。
できることなら原文で読みたいものだけど、それができるだけの教養はないし、今回はとりあえず内容を知ることが目的だったので、現代語訳を頼ることに。
読んでみて驚いたことが二つ。
ひとつは、鴨長明という人の人生観。無常論というか、一言で片づけてしまえば、超ネガティブ思考なこと。だけど、それこそが普遍的な、人としての永遠のテーマだとも思った。
読みながら、「祇園精舎の鐘の声・・・」で始まる平家物語をすぐさま思い出し、重ねて読んでいたのだけど、そもそも、この「方丈記」の方が古い時代に書かれているのだった。
それは別に良いとして、この無常観というものは、仏教の教えそのものだと感じながら読んでいた。何をしても、どこにいても、常に何かしらの心配事からは逃れることができない。鴨長明もまた、少しでも仏道の道に精進しようとして、何年も人里離れたところで自問自答して、何の答えも得られなかったと綴っていた。
いつの時代も、人とはそういうものなのだろう。先に、ネガティブ思考などと書いたものの、自分自身にも当てはまるところがあった。勇気づけられる、というのではないけれど、少し心が軽くなるところもあった。ただ、平安末期のその時代と変わっていることがあるとしたら、「子を愛さない親はいない」というくだり。今の世の中の「ネグレクト」などという言葉を知ったなら、鴨長明はどのように感じて、論じたのだろうか。
あと、もう一つ驚いたのが・・・。
平安時代に、日本の都が一時的に福原(神戸)に移ったことがあったこと。1180年の約半年程度のことですが、まったく知らなかった。日本史を専攻した人にとっては常識なのだろうか? 今のところ、自分の周りでは福原京のことを知っていた人はかなり少数派のようだが、気になるところではある。
さらに、もうひとつ気になるのは・・・。
家庭も持たず、都を離れて一人で仙人のような暮らしをしていた鴨長明。どうやって「方丈記」が世に出て、認められて広められて、「三大随筆」と呼ばれるまでに至ったのかということ。これも、
少し調べればわかることなのかもしれないけども。

いずれにしても、いくつになっても新しい(この場合、古いと言うべきか)ことを知るというのは楽しいことだ。

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