2022年5月11日水曜日

先人に対して想う・・・

 


仕事を辞めて一月余り。
少しばかり旅に出た自分は、いくつか気づきがあった。
大したことではない。
「当たり前」のことだ。

自分が訪れた場所は、どこも人の手が加えられている。
雄大な自然を満喫できる場所でさえそうだ。
登山をするにも、その道は整備されている。
また、そこに辿り着きまでの車道。
今回、剣山に登ったり、山奥のお寺を参ったり。
けっこう、険しい道があった。
対向車が来ないことを願いつつ車を走らせた。
側溝にタイヤを落とさないよう、慎重に慎重に。
ガードレールが途切れた場所は、不安と恐怖でしかない。
またガードレールが現れて、ほっとする。
カーブミラーの存在は本当にありがたい。

ここで、ふと思った。
こちらは、慣れない山道をひいひい言いながら車を走らせる。
だけど、この険しい道を切り開き、車道に整備してくれた人がいる。

この細い道で、あの大量のガードレールを。
いったい、どのようにして、どれだけの時間をかけて。
カーブミラーだって、人の手で運ぶのは大変だろう。
アスファルトを敷くのだって、いったいどうやって?

そんなことに気づくと、全部が全部、とてつもないことだと思えてきた。
山を掘ってトンネルを作ってくれた人。
山頂まで電気や水を引いてきてくれた人。

下山する時、山小屋の開店準備をする人とすれ違った。
キャタピラ運搬車に物資を乗せて、登ってくる。
あんな台車があることも初めて知った。


お寺もそう。
比較的町中にあるお寺は良いとして。
中には、とんでもなく険しい山の上に建てられたお寺。
登りながら、「なぜ、わざわざここに?」
という、煩悩まみれの疑問が湧く。

当然ながら機械などなかった時代。
道具だって、ろくになかったことだろう。
それこそ、気の遠くなるような時間と労力をかけて。
石や木を運び、積み上げていったのだろう。

名前も顔も想像すらできない先人に対して、勝手に想う。
そのご苦労に対して、畏敬の念と感謝の気持ちを抱かずにいられない。
石を運んだ人、積み上げた人、工事に従事した人。
あなた方の尊いお仕事のおかげで。
自分はさまざまな恩恵を受けている。

これらのことは、今までだってまったく知らなかったわけではない。
だけど、「当たり前」のものとして、見過してきた。
今回、今までなかった時間を得て、過ごしている中で。
今まで麻痺していた感覚に少しだけ神経が宿り始めている。

そんなことを感じ、考えていた矢先。
中村文昭さんの言葉が自分のタイムラインに流れてきた。

これも、過去に何度も目にしたことがある気がする。
だけど、本当の意味で、自分は理解できていなかったようだ。
そして、今こそやっとその意味が分かった気がする。
同じ言葉でも、やはり自分が見て、感じて、考えてみないと。
なかなか理解に至るのは難しいということにも気づく。

話が広がりすぎてしまった。
いずれにしても、今目の前にある「当たり前」のこと。
今一度見つめ直してみよう。

いつも心に「ありがとう」

あらためて、大事にしていきたい言葉。

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