本日、国葬が執り行われるようだ。
元首相が凶弾に倒れてから、この決定は早かった。
こんなに早く物事を決められるのだと驚いた。
首相の独断…とまでは言わないが、国会を通さなくていいということも。
あ、そう言えば、学校の一斉休校の時もそうだったか。
つまり、有事の際の首相の権限はそれだけ大きいということ。
それを独裁と言うつもりはない。
国家のトップにいる人間の権限とリーダーシップは大切だ。
ただ、違和感がありありだと自分が感じたのは。
もっと早く決めて、実行すべきことがもっとあったのでは?ということ。
コロナ禍然り、経済政策然り、その他外交上の問題然り。
あ、今回の国葬は外交上の理由も大きいか。
それにしても、暗殺(敢えてこう言う)直後は。
世論も国葬はありという風潮もあったように思う。
反対の声も少なくはなかったが、過半数は賛成だったのでは?
しかし、宗教の問題が湧き上がって来て、風向きが大きく変わった。
それでも、当初決めたことは最後まで押し通された。
何かを決める時。
早計で判断を誤ることもあるだろう。
間違うのは恥ずかしいことじゃない。
でも、間違いに気付けなかったり、認められないのは恥ずかしいことだ。
前言撤回をすることは恥ずかしいことじゃない。
そのチャンスは充分あったはずだ。
あ、そもそもが間違いだと思っていないのか。
それなら、議論は噛み合うはずがない。
しかし、人の意見に耳を傾けることは大事だ。
特にそれが公人の場合。
「信念を貫き通す」
この姿勢はもちろん大事なのだが。
それは、あくまで「個人」のレベルに置いてではないのか。
何があっても自己責任、これは個人だからできること。
公人は、個人の主義主張とは別に、社会の福祉のために働く。
果たして、今回は、その社会の声に。
充分耳を傾けてくれたのだろうか。
今回のことに関して。
民主主義の崩壊という言葉も目にする。
でも、そもそもこの国に民主主義ってものはあったのかな。
自分達で権利を勝ち取った経験のない国民性。
古くから朝廷やら幕府やら、トップダウンに従ってきたこの国。
誰かの決定に、個々には文句を言っても、最終的に素直に従う。
脳みそを誰かに預けておいたほうが楽だから。
そういうところに付け込まれたのかな。
次の選挙まではまた随分と時間がある。
喉元過ぎれば…ってことにまたなるのかな。
話がそれてしまった。
自分が今回の国葬に関して反対なのは。
別に税金がどうとか、決め方がどうとか。
そこはまぁ、無視はしないがそれほど重要でもなく。
国葬というのは、故人の「死に方」で決めてはいけないと思う。
人である以上、100%善ということはないでしょう。
だけど、いつ時代の、誰が見ても、その功績に対して。
多くの人が、それこそ大多数の人が。
国葬に値する立派な人だったという判断のできる人。
例えば、彼の人が。
あと30年普通に生きられたとして。
30年後に天寿を全うされたときにも。
時の総理大臣や国民が「国葬」という判断をできるかどうか。
在職期間中にも様々な問題を抱えておられた方で。
功績だけでなく、功罪の罪の方もたくさん疑惑があった。
もし仮に、30年の間に「罪」の方が明らかになったとしたら?
今回の国葬の件に関して、唯一と言って良い、評価できることは。
あらためて、この国のあり方について問題提起がなされたこと。
奇しくも、直前になって、「国葬とはかくあるべき」というような。
素晴らしいセレモニーが行われたこと。
そこにも大きな意味があるのではないかな。
これからの生き方が大事だと思う。
願わくば、疑惑は疑惑のまま闇に葬り去られず。
今後も、功罪について、今回の判断について。
しっかり検証をしていってもらいたい。
今になって去年のオリンピックもドロドロのものになってる。
30年後のこの国と国民が。
「あのときの国葬は間違いだった」と反省していることを願う。
あ、そのときは自分もまだ生きているかも。
だとしたら、願うだけではダメだね。
あ、それから、最後に。
今回の決定について、法的根拠に基づいているから問題ない。
という主張に対して一言。
今ある法律が絶対に正しいという根拠はあるのかな。
今ある法律が正しくて完璧なものであるならば。
なぜ、現政権は憲法改正を主張しているのか。
今の世の中に合わなくなっているものがあるから。
見つめ直して、より良いものにしていく。
この観点は大事です。
だから、今ある法律にも疑問をもち。
見つめ直していくことが大事です。
それをしなくなったら、完全な思考停止だと思います。
いずれにしても、自分は国葬には反対です。